近ごろ、自動車にまつわる負の報道が多い。人身事故やガソリン価格の高騰、地球温暖化への影響、道路特定財源一般化への動きなど。一方で、自転車利用を促進する番組や特集記事が増えている。外資がわが国の市場を席巻し、低賃金労働がまん延する中、国民から自動車を取り上げる計画が進められている気がしてならない。
自動車事故を糾弾し、自転車3人乗りを宣伝
自動車に対する負の報道の筆頭は、交通事故である。2006年8月、福岡で起きた市職員の飲酒による3児死亡事故は全国ニュースのトップで扱われた。翌月には、埼玉県で脇見運転中の車が児童の列に突っ込み4人が死亡する事故も大きく報じられた。
しかし、交通事故は減少傾向にあり、2007年の死傷者数は5000人台まで低下した。飲酒運転による交通事故も2002(平成12)年をピークに減り続け、2007年度は3分の1近くの7558件まで低下した。飲酒運転による死亡数も同様の推移を示す。
事故の減少には、2002年と2007年の罰則強化が影響していると見られ、事故の大報道はこの法改正を後押ししてきた。NHKの『クローズアップ現代』は福岡の事故の前と後に、飲酒運転の事故撲滅をテーマに放送している。このとき、すでに飲酒事故は減っていた。福岡の事故では、県警挙げての捕り物劇が展開され、検察が危険運転致死傷罪での起訴に踏み切る異例の対応がなされた。新設された罪状での立件実績をつくるとともに、2007年の法改正にひき逃げへの罰則強化を盛り込むことにつながった。そして事故が減る今も、飲酒や死亡事故を大きく報じ続ける。
一方、自転車の利用拡大につながる報道が盛んだ。毎日新聞は5月に「自転車3人乗りを考える」という特集を組み、3人の識者の意見を載せている。自転車の前後に児童を乗せる行為は禁止されているが、警察庁が容認に向けた検討を始めている。紙面で法やインフラの不備を挙げてもらうことは、改正の推進力になる。
警察庁の「幼児2人同乗用自転車」検討委員会は安全な3人乗り自転車の開発可能性や普及に必要な事項などを探るもの。文書は「幼児2人同乗を行っている実態」が解禁への保護者の要請と認められるとしているが、突然そのようなことを言うのはおかしい。しかも、子供の数は減っているのだ。
NHK教育テレビ『土よう親時間』は5月に「安全なママチャリ大論争!」を放送し、3人乗りを要望する母親たちの声を紹介。スタジオに3人乗り自転車を持ち込み、ゲストに試乗させている。
自転車の利用環境を整備、自動車には次々と制約
国土交通省は自転車配慮型道路の整備に着手した。「背景」の1つとして自転車事故の増大を挙げているが、自転車乗車中の死者はこの10年減少傾向にあり、平成9年の1065人から平成19年は745人にとどまる。そのためか、文書の説明部分には「増加率」と記されている。増えているのは全交通事故死者に占める割合だけである。
交通手段の変更を求める根拠として、最も説得力を持つのは歩道上の事故である。歩道上で自転車と歩行者が接触する事故は10年間で約4.5倍に増えた。この問題は『クローズアップ現代』で度々取り上げられてきたし、昨年11月には東京・渋谷で75歳の女性が自転車にはねられて死亡するニュースが大きく扱われた。
歩道上のトラブルが自転車専用道や自転車専用帯の整備を促しているととらえることができるが、整備すれば自動車の通行空間は狭まる。これはそのまま、自動車から自転車へのシフトを促す意味を持つ。むしろ、歩道上の接触事故が道路の用途変更の口実にされたと解釈すべきではないだろうか。
自動車から自転車へのシフトを促す施策は、すでに始まっている。道路交通法は昨年9月施行の改正で飲酒運転やひき逃げの罰則を強化したのに続き、今年6月1日からは自転車通行に関するルールを変更した。自転車が歩道通行できるのは道路標識等が認めている所のほか、運転者が児童や幼児等の場合や交通状況からやむを得ない場合とした。これにより「自転車通行指定部分」へ誘導している。また、児童・幼児にヘルメットをかぶせる努力義務が明記された。
今回の改正は自転車を交通手段として本格化させる表れといえる。同じ日、車の後部座席でシートベルト着用が義務付けられた。後部座席での着用率は一般道では7.5%、高速道でも12.7%と低い。それだけに自動車利用をけん制するものに見える。
また、75歳以上の人は自動車運転時に高齢運転者標識の表示が義務付けられた。これも利用者の抑制につながるだろう、4月1日からは70歳以上の高齢者に運転免許証の自主返納も呼び掛けている。返納者には「運転経歴証明書」を発行し、賛同する企業や団体から特典を受けられる誘因を持たせている。高齢者に不注意事故が多いからといって、免許を公然と取り上げる動きに「強権」という言葉を連想するのはわたしだけだろうか。
燃料高騰や温暖化で庶民生活を追い込む
自動車利用を敬遠させるほかの要素も拡大している。ドライバーにとって最大の頭痛の種は、ガソリンの高騰だろう。小売価格は1987年の統計開始以来、初めて1リットル=170円台に突入した。一時1バレル=135ドルを突破した原油価格は、ゴールドマン・サックスの予測では200ドルまで上昇するという。第一生命経済研究所の試算によれば、この場合、家計の負担額は年間7万5000円に迫るとされる。企業は消費の冷え込みと負担増で経常利益13.3%押し下げられると分析する。
暫定税率が一月間だけ掛からなかっただけに、値上がり感はひとしおである。これは恒久的廃止への世論づくりの仕掛けかもしれない。道路特定財源の一般化と相まって、将来の道路整備が減退するのは避けられそうにない。社会資本整備から手を引き始めている政府の姿勢からも、自動車排除の意図を感じる。
ガソリン値上がりを受け、幼稚園や保育所などではすでにバスによる送迎を取りやめる所も出始めた。買いだめもしにくくなっている。5月下旬、神戸市のセルフ式ガソリンスタンドで、客が持参した容器にガソリンを入れて引火する火事があった。消防法では、客が車以外の容器にガソリンを入れることを禁止ししており、店員はこの微罪で初めて摘発された。終日テレビ報道されたから、換え控えさせるためのキャンペーンだろう。
地球温暖化問題も、自転車へのシフトを促す1つの理由にされている。しかし、二酸化炭素の排出が温暖化の原因とは、学術的に断定できていない。太陽活動の周期変動によるものとする多数の学者の見解は、一切マスメディアに載ることはない。
皆さんは、自転車へのシフト促進が、ガソリン高騰や道路建設の減退、環境問題などを見越しての施策と考えるだろうか。わたしにはそう思えない。いずれの障壁も、人為的に作り出せるからである。それどころか、国民生活の悪化を招く自滅的経済政策全般が自動車利用の障壁ともいえる。
昨年の三角合併解禁で優良企業は次々と外資の手に落ち、郵政民営化で国民の虎の子350兆円はハゲタカに奪われるのを待つ。1999年の派遣労働解禁で、今や労働者の3分の1が非正規雇用。その割合は増え続けており、正規職員には米国の求めるホワイトカラー・エグゼンプションすなわち残業ただ制度が導入されようとしている。
もっとも、わたしは車に愛着があるわけではない。歩行者にクラクションを鳴らし、横断歩道も止まることのない車など、ない方がいいとも思ってきた。それでも看過できないのは、交通シフトを促す施策と報道が労働成果を国民に渡さない決意表明に見えるからである。低賃金で不安定な労働を強いながら、保険や年金などのセーフティーネットは細る一方だ。今まででさえ、質素倹約を教え込まれ、世界第2位の富をつくるほど稼ぎながら「ウサギ小屋」に住んできた。庶民にとって車は豊かさの象徴であり、これを奪うことは日本人の奴隷化を意味するのではあるまいか。
そもそも、戦争で占領した国に資金や技術を無償提供し、富ませて去るお人好しの国などない。ドッジプランもプラザ合意も、構造改革も、支配者の計画の一環だったと見るべきではないか。
恋人や家族とのドライブなど、いずれ日本人にとって映画の中のお話になるかもしれない。そうなれば、ほかの純粋な娯楽は推して知るべしである。飲酒事故やガソリン高騰のニュースが流れるたび、わたしの心は暗くなる。
自動車事故を糾弾し、自転車3人乗りを宣伝
自動車に対する負の報道の筆頭は、交通事故である。2006年8月、福岡で起きた市職員の飲酒による3児死亡事故は全国ニュースのトップで扱われた。翌月には、埼玉県で脇見運転中の車が児童の列に突っ込み4人が死亡する事故も大きく報じられた。
しかし、交通事故は減少傾向にあり、2007年の死傷者数は5000人台まで低下した。飲酒運転による交通事故も2002(平成12)年をピークに減り続け、2007年度は3分の1近くの7558件まで低下した。飲酒運転による死亡数も同様の推移を示す。
事故の減少には、2002年と2007年の罰則強化が影響していると見られ、事故の大報道はこの法改正を後押ししてきた。NHKの『クローズアップ現代』は福岡の事故の前と後に、飲酒運転の事故撲滅をテーマに放送している。このとき、すでに飲酒事故は減っていた。福岡の事故では、県警挙げての捕り物劇が展開され、検察が危険運転致死傷罪での起訴に踏み切る異例の対応がなされた。新設された罪状での立件実績をつくるとともに、2007年の法改正にひき逃げへの罰則強化を盛り込むことにつながった。そして事故が減る今も、飲酒や死亡事故を大きく報じ続ける。
一方、自転車の利用拡大につながる報道が盛んだ。毎日新聞は5月に「自転車3人乗りを考える」という特集を組み、3人の識者の意見を載せている。自転車の前後に児童を乗せる行為は禁止されているが、警察庁が容認に向けた検討を始めている。紙面で法やインフラの不備を挙げてもらうことは、改正の推進力になる。
警察庁の「幼児2人同乗用自転車」検討委員会は安全な3人乗り自転車の開発可能性や普及に必要な事項などを探るもの。文書は「幼児2人同乗を行っている実態」が解禁への保護者の要請と認められるとしているが、突然そのようなことを言うのはおかしい。しかも、子供の数は減っているのだ。
NHK教育テレビ『土よう親時間』は5月に「安全なママチャリ大論争!」を放送し、3人乗りを要望する母親たちの声を紹介。スタジオに3人乗り自転車を持ち込み、ゲストに試乗させている。
自転車の利用環境を整備、自動車には次々と制約
国土交通省は自転車配慮型道路の整備に着手した。「背景」の1つとして自転車事故の増大を挙げているが、自転車乗車中の死者はこの10年減少傾向にあり、平成9年の1065人から平成19年は745人にとどまる。そのためか、文書の説明部分には「増加率」と記されている。増えているのは全交通事故死者に占める割合だけである。
交通手段の変更を求める根拠として、最も説得力を持つのは歩道上の事故である。歩道上で自転車と歩行者が接触する事故は10年間で約4.5倍に増えた。この問題は『クローズアップ現代』で度々取り上げられてきたし、昨年11月には東京・渋谷で75歳の女性が自転車にはねられて死亡するニュースが大きく扱われた。
歩道上のトラブルが自転車専用道や自転車専用帯の整備を促しているととらえることができるが、整備すれば自動車の通行空間は狭まる。これはそのまま、自動車から自転車へのシフトを促す意味を持つ。むしろ、歩道上の接触事故が道路の用途変更の口実にされたと解釈すべきではないだろうか。
自動車から自転車へのシフトを促す施策は、すでに始まっている。道路交通法は昨年9月施行の改正で飲酒運転やひき逃げの罰則を強化したのに続き、今年6月1日からは自転車通行に関するルールを変更した。自転車が歩道通行できるのは道路標識等が認めている所のほか、運転者が児童や幼児等の場合や交通状況からやむを得ない場合とした。これにより「自転車通行指定部分」へ誘導している。また、児童・幼児にヘルメットをかぶせる努力義務が明記された。
今回の改正は自転車を交通手段として本格化させる表れといえる。同じ日、車の後部座席でシートベルト着用が義務付けられた。後部座席での着用率は一般道では7.5%、高速道でも12.7%と低い。それだけに自動車利用をけん制するものに見える。
また、75歳以上の人は自動車運転時に高齢運転者標識の表示が義務付けられた。これも利用者の抑制につながるだろう、4月1日からは70歳以上の高齢者に運転免許証の自主返納も呼び掛けている。返納者には「運転経歴証明書」を発行し、賛同する企業や団体から特典を受けられる誘因を持たせている。高齢者に不注意事故が多いからといって、免許を公然と取り上げる動きに「強権」という言葉を連想するのはわたしだけだろうか。
燃料高騰や温暖化で庶民生活を追い込む
自動車利用を敬遠させるほかの要素も拡大している。ドライバーにとって最大の頭痛の種は、ガソリンの高騰だろう。小売価格は1987年の統計開始以来、初めて1リットル=170円台に突入した。一時1バレル=135ドルを突破した原油価格は、ゴールドマン・サックスの予測では200ドルまで上昇するという。第一生命経済研究所の試算によれば、この場合、家計の負担額は年間7万5000円に迫るとされる。企業は消費の冷え込みと負担増で経常利益13.3%押し下げられると分析する。
暫定税率が一月間だけ掛からなかっただけに、値上がり感はひとしおである。これは恒久的廃止への世論づくりの仕掛けかもしれない。道路特定財源の一般化と相まって、将来の道路整備が減退するのは避けられそうにない。社会資本整備から手を引き始めている政府の姿勢からも、自動車排除の意図を感じる。
ガソリン値上がりを受け、幼稚園や保育所などではすでにバスによる送迎を取りやめる所も出始めた。買いだめもしにくくなっている。5月下旬、神戸市のセルフ式ガソリンスタンドで、客が持参した容器にガソリンを入れて引火する火事があった。消防法では、客が車以外の容器にガソリンを入れることを禁止ししており、店員はこの微罪で初めて摘発された。終日テレビ報道されたから、換え控えさせるためのキャンペーンだろう。
地球温暖化問題も、自転車へのシフトを促す1つの理由にされている。しかし、二酸化炭素の排出が温暖化の原因とは、学術的に断定できていない。太陽活動の周期変動によるものとする多数の学者の見解は、一切マスメディアに載ることはない。
皆さんは、自転車へのシフト促進が、ガソリン高騰や道路建設の減退、環境問題などを見越しての施策と考えるだろうか。わたしにはそう思えない。いずれの障壁も、人為的に作り出せるからである。それどころか、国民生活の悪化を招く自滅的経済政策全般が自動車利用の障壁ともいえる。
昨年の三角合併解禁で優良企業は次々と外資の手に落ち、郵政民営化で国民の虎の子350兆円はハゲタカに奪われるのを待つ。1999年の派遣労働解禁で、今や労働者の3分の1が非正規雇用。その割合は増え続けており、正規職員には米国の求めるホワイトカラー・エグゼンプションすなわち残業ただ制度が導入されようとしている。
もっとも、わたしは車に愛着があるわけではない。歩行者にクラクションを鳴らし、横断歩道も止まることのない車など、ない方がいいとも思ってきた。それでも看過できないのは、交通シフトを促す施策と報道が労働成果を国民に渡さない決意表明に見えるからである。低賃金で不安定な労働を強いながら、保険や年金などのセーフティーネットは細る一方だ。今まででさえ、質素倹約を教え込まれ、世界第2位の富をつくるほど稼ぎながら「ウサギ小屋」に住んできた。庶民にとって車は豊かさの象徴であり、これを奪うことは日本人の奴隷化を意味するのではあるまいか。
そもそも、戦争で占領した国に資金や技術を無償提供し、富ませて去るお人好しの国などない。ドッジプランもプラザ合意も、構造改革も、支配者の計画の一環だったと見るべきではないか。
恋人や家族とのドライブなど、いずれ日本人にとって映画の中のお話になるかもしれない。そうなれば、ほかの純粋な娯楽は推して知るべしである。飲酒事故やガソリン高騰のニュースが流れるたび、わたしの心は暗くなる。










