高橋清隆の文書館

 当ブログでは、マスメディアが伝えない情報や事象分析を発信しています。
新聞やテレビがつくる「社会標準」から解放されれば、人類は本来の豊かな人生を送れると確信します。

2019年01月

墨彩画が気付かせた郷土愛 藤井克之さん

 水の張られた水田で田植えする農夫たち、はさ木の連なる収穫後の水田……。一目見ると、思わず引き込まれてしまう風景画を描くのは、新潟県在住の墨彩画家、藤井克之さん(64)である。ぬくもりある画風には、作者の生きざまが表れている。

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「田植え風景1」(『藤井小百合紀念書冊』より)

 新潟に縁のある人は、藤井さんの絵をどこかで見たことがあるのではないだろうか。絵はがきのほか、地ビールのラベルや米菓のパッケージにも使われている。県外の人でも、どこか懐かしい風景との評価を聞く。

 藤井さんは1954年、同県旧巻町(新潟市西蒲区)に生まれ、大阪芸術大学美術科を卒業。二科会松井正画伯に師事、油彩画を専攻する。1994年、第13回日本水墨画会展、朝日新聞社賞など4つの賞を受賞している。

 立派な経歴だが、紆余(うよ)曲折があった。42歳まで、県立高校の教員をしていた。サラリーマンが苦手で、いつも美術準備室でタバコをくゆらしていた。「学校は好きじゃなかったけど、子供は好きでした」と述懐する。ただし、絵描きになる計画は抱き続けた。

 墨彩画に至る転機は、26歳のときに訪れた。初任地の堀之内高校(魚沼市堀之内)を離れることになった。自ら創った美術部に、旧湯之谷村(魚沼市への編入で消滅)で大沢和紙を漉(す)く家の娘がいた。需要がなく、今年でやめると言い、たくさんの紙を土産にもらった。

 藤井さんは4年間のお礼にと、この紙に町の風景を描いて贈ろうと考えた。ところが、洋画用の絵の具が載らない。墨だとなじみ、「紙が喜ぶ」と思った。水彩用の絵の具を少し混ぜると、思いの外、映えた。

 展覧会は地元の総勢100人が実行委員会を組織し、開いてくれた。お年寄りが一様に喜び、「素晴らしい」と涙するのを目撃する。藤井さんの心に変化が起きた。

 「ずっと抽象画を描いてきて、20歳のころから神戸や新潟の市内で個展を開いていました。評論家に認めてもらい、美術雑誌に書いてもらおうと、そのことばかり目指してきた。でも、芸術にこだわらなくても、職人、絵師でいいんだと思えたんです」

 それから8年後、新潟の大和デパートで個展を開く。そのとき「墨彩画」という名称を考えついた。墨で輪郭と明暗を描き、最後に水彩絵の具で色を付ける。「マンションにも飾れる新しい水墨画」の形式が生まれた。

 「無彩色に有彩色がうまく絡むと、色もきれいに見えてくる。墨が色を引き立ててくれるんです」

 ただし、下書きやデッサンはなく、ぶっつけ本番。油絵のように描き直しが利かない。

 教員を辞め、墨彩画家として再出発すると、新しい発見があった。車で走行中、田植えに遭遇する。車を降りて、食い入るように見た。郷土、西蒲原の風景美に気付いた瞬間だった。

 「4月は学校が忙しく、田植えを見たことがなかったんです。絵師でいいと思ったら見る物新鮮で、周りの世界に見とれ、いろんなことを感じ始めました。名声を求め、上ばかり見てきた自分が、新潟を好きになり始めました」

 ハッとする作品は、この新鮮な気持ちが込められているからかもしれない。展覧会で藤井さんの絵を見て、10年後に電話をしてきた人もいる。画を求めたり、本の表紙を依頼したり。それだけ強烈に記憶に残るのだろう。

 今では、個展の傍ら、県内延べ9カ所で墨彩画を教える。蓄えのない状態で独立した藤井さんを気遣い、知人たちが県内各地の教室と交渉してくれた。「断っても悪いから、続けています。案外人が好きかもしれません。実際、人に助けてもらったし」と照れる。

 しかし、順風満帆ではなかった。2016年2月、長女の小百合さんを32歳で亡くす。15歳のときからうつ病を患っていた小百合さんは旅行で訪れた台湾に引かれ、12年春に移住。現地の日本語学校で教師の職に就く。新天地で、うつの再発はなかった。翌年の夏、乳がんが見つかり、帰国。新潟で抗がん剤治療を受けていた。

 愛娘を亡くしてから1年半、筆を執れなかった。手を差し伸べてくれたのは、小百合さんの台湾の教え子たちだった。闘病中も見舞いに来ていた1人が、「台湾の風景を描きませんか。現地でぜひ、個展を」と提案した。藤井さんは、娘がなぜ台湾に引かれたのか、足跡をたどることで、彼女が何を考えたかを知ることができると思った。

 藤井さんは17年の夏から暇を見ては、台湾に足を運んだ。カメラと絵筆を持って、娘の過ごした日々を一つひとつ、記録していく。彼女が歩いた同じ道を歩き、同じ食べ物を味わった。

 18年7月、台北市内で開いた個展には、大勢の人が集まった。日本からも小百合さんの友人約40人が来た。郷土、新潟の風景画と、小百合さんの好んだ台湾の場所を描いた作品とが展示された。

 「娘が魅せられた台湾が、私を励ましてくれました。日台の懸け橋になりたかった娘に代わって、台湾に恩返ししていきたい」

 小百合さんがお気に入りだった台南市のコーヒー店「窄門珈琲」を描いた作品は、現地の新聞で取り上げられた。まるで空席に誰かがいて、会話が聞こえてきそうだ。それを見た女性店主が個展に訪れ、彼女を偲(しの)んだ。

 試練を乗り越え、藤井さんの絵はさらに厚みを増しているように映る。
 
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藤井さん(2019.1.5新潟市西蒲区のご自宅で筆者撮影)

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「窄門珈琲」を描いた作品。現在右側の壁には、この絵が飾られている(『藤井小百合紀念書冊』より)

運命の絵はがき

 この二十年ほど、密かに気に入っている絵はがきのシリーズがある。新潟の素朴な風景を水彩で描いたもので、同県出身の私は、見るなりハッとさせられる。作家の名前は藤井克之という。

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「藤井克之オフィシャルページ」より

 田植えを描いた作品は、弥彦山を背景に、わら笠をかぶった農夫が水の張られた水田にももまで浸かっている。稲刈りの作品は、山吹色の稲穂の海原が広がり、はざ木の向こうには長岡丘陵が連なる。いずれも、郷土の原風景が臨場感を持って描かれている。筆使いも繊細で、私の理想とするものである。水彩だが、濃淡もはっきり出ている。

 この絵はがきと出会ったのは、確か新潟市内の大型書店だった。同市内に勤めていた私は、遠方に住む知人に礼状を書く際、買い求めていた。東京に越してからは、帰省するたび、このシリーズが置いてある長岡駅ビル内の書店に寄るため、わざわざ途中下車している。絵柄も豊富で、季節に応じたあいさつ状として使ってきた。

 私は絵画を本格的に描きたいと思うようになった。姉が四十の手習いで油絵を始め、今では銀座で個展を開くようになっているが、私の方が絶対にうまい自信がある。油絵を習ったことがないので、絵画教室に通うのが一番と考え、教室をネットで探す。一流の作家は東京にいるはずだが、感動的な講師が見つからない。

 懐かしさから、小学六年まで通った図画学校を検索する。何と、ホームページの講師欄に「藤井克之」の名前があった。私は身を乗り出して、彼の履歴を調べる。「一九五四年、新潟県巻町(現新潟市西蒲区)に生まれる。一九七七年、大阪芸術大学美術科卒業。一九八〇年『墨彩画』を考案。一九九四年、朝日新聞社賞など四つの賞を受賞」とある。立派な経歴の持ち主だった。

 彼は二年前に長女を亡くしていることも知る。郷里に戻り、この先生に習おうと思った。

悲しき街、悲しき大衆

 年末年始に帰省し、氏神様に参拝した。大祓(おおはらい)を終えた後、商店街を歩いて帰る。子供のころ、珠算教室に通った道だ。しかし、店は全てシャッターを閉じていた。利用した書店も菓子屋も喫茶店もない。

 毎日通った小学校は廃校になり、「公園」と称する空き地になっている。この町で育った痕跡は跡形もなく消えていた。理由は明白だ。商店街の衰退は米国の要求で大店法を廃止したから。巨大小売り資本が日米構造協議で米国を後押しした。小中学校の統合は「財政赤字」を口実にした緊縮予算と、「小さな政府」を目指す新自由主義が背景にある。

 今、住民の大半は郊外の巨大ショッピングモールで買い物し、子供たちは十数キロ離れた小学校にスクールバスで通う。一方、近所は空き地と朽ちるに任せた建物が増えるばかり。愚かしく、悲しい光景である。これらは全て、人類奴隷化の一環であり、ウォールマートもアマゾンも、露払いとして利用されているにすぎない。

 「そんなばかな、陰謀論者め」

 そうあざ笑う人が大半だろう。しかし、ロックフェラーとシオニストの内部者で、家族計画協会幹部のリチャード・デイ博士は、これらがアジェンダであることを告白している。「道路は路線変更され、名前も変わる。しばらく見なかった地域は、なじみのない場所になっているだろう」「人々は家を買えず、ますます多くの人々が狭いアパート(マイクロアパート)に入居を強いられるだろう」と。

 この窮状にも、人々は真相を見ようとしない。MI6の高級将校だったジョン・コールマン博士は次のように記す。

 「大衆は真実を知らされずに情報不足のまま、考え、信じ、行動するように操作されている」

 「仕方がない。偶然の成り行きだ」と間違った自省をする善良な大衆を前に、私の悲しさは度合いを増す。

臨時国会を総括する 篠原孝議員に聞く「インチキ保守が国を壊す」��

立憲は共闘を、メディアは全体の議論を

——野党共闘についてどう考えるか。

篠原 ご存じの通り、私はずっと知恵者の小沢(一郎衆院議員)さんや亀井(静香元衆院議員)さんも含めた大野党共闘をやって来た。亀井さんの「さくらの木構想」に尽力した。立憲民主党の枝野代表は「わが党は個人として参加いただくことは懐深く考えるが、どこかの政党やグループと合流することはない」などと言っていて野党を引っ張っていく気がない。これでは政権交代はできない。

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篠原氏(2018.12.18筆者撮影)

——入管法の付帯条項協議や内閣不信任案でも足並みの乱れが見えた。

篠原 入管法のような対決法案ぐらい、野党第一党と第二党が話し合って方針を決めて当たるべきだ。最終盤になって両党が違う対応をするのは見苦しい限りだ。

——共産党との共闘は駄目か。

篠原 やるならやっていい。しかし、前原代表が嫌ならやらなくてもいいと思った。連立内閣をつくるというわけでなく、選挙のとき一緒にやるというのは、いくらやっても構わない。欧州の多くの政党などはそうしている。逆に選挙協力しなくて、内閣の樹立のときは協力するというのもある。ドイツのメルケル政権などはずっと大連立で、選挙は別だ。日本は慣れてないから、小沢さんと福田(康夫元首相)さんがやろうとした大連立に仰天して突っぱねたりした。

——メディアについての評価を。特に、山場で国会中継をしなかったNHKについて。

篠原 別に批判などない。予算委員会は中継したと思う。ルールとして本会議の代表質問はやるが、個別法の最後の賛否の討論は中継などしない。作為ではない。

——売国的法案が立て続けに通るのは、メディアにも責任があるのでは。

篠原 メディアの前に与党自民党もふがいなさ過ぎる。内閣の暴走を許し、ろくに議論していない。自民党水産部会の皆さんが、無視されたからと相当怒っていたという。漁業法は国会議員も分からない。メディアの人はもっと分からないと思う。論評できないのは仕方ない。

 技能実習生の問題も、失踪者のアンケート調査の個票に関心が行ってしまい、政府の思うつぼで、全体の議論がなされてない。マスメディアの欠点は、そうしたさまつな議論に振り回され、根源的問題に触れないことにある。30年前の偽装難民事件の後、1990年に日系ブラジル人に特別在留を許した。93年に技能実習制度ができる。それが悪用されてきた歴史を今の新聞やメディアは追いきれていない。大手新聞社の記者たちは2〜3年で異動になるからかもしれないが、制度自体がインチキだとの問題意識に向かわないのは残念だ。(終わり)
(2018年12月18日、筆者インタビュー)

臨時国会を総括する 篠原孝議員に聞く「インチキ保守が国を壊す」��

技能実習制度が問題、地域を守れ

——裁量労働制のデータ改ざんに続き、失踪した技能実習生の聴取票が偽って報告されていたことをどう考えるか。

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篠原氏(2018.12.18筆者撮影)

篠原 聴取票の改ざんも問題だと思うが、そもそも低賃金労働の隠れみのとなっている外国人技能実習制度が大問題だ。30年前、ベトナム難民と偽って多数の中国人が木造漁船で来て、大村レセプションセンターに収容されたころ、『VOICE』や『中央公論』『諸君』などのオピニオン誌で移民問題について相当議論があり、そのときから私はずっとこの問題を追い掛けてきた。野党の保守をもって任じている同僚議員に、「おまえらより俺の方がずっと保守だ。このインチキ保守め」と言ってきた。

 この技能実習制度は本当に技能実習制度にして、母国に帰って生かせるようにすべき。中国人の女性が20〜30人で、劣悪な作業員宿舎に住んで農作業をしたり工場で働いているのを想像してほしい。彼女たちは中国に帰って同じ作物を作ったり、同じような工場で働くことはまずないのではないか。技能実習だったら、従業員30人の工場なら2〜3人が限度ではないか。

 実習ということで参考になるのが、派米農業研修制度だ。私が1976〜78年に留学した際、この制度でルーマニアから来ている研修生と農家に泊まり、農作業に汗をかいた。小遣いをもらう程度で2年間、研修を積んで母国に持ち帰るもので、今もある。日本もそれにとどめるべきだった。そんなことをブログに書いてたら、チャンネル桜の討論番組からも出演依頼が来た。

——TPPに反対してきたのも、愛国的な立場からだった。

篠原 そうだ。何でもアメリカ流の競争にさらすTPPも地域社会を壊す。日本の伝統文化や地域社会を守らなければならないというなら、真っ先に反対しなければならない。隣近所が助け合って生きる中で、立派な人材も育つ。そこを壊したら、日本は瓦解していく。戦争で壊されるよりも、内部崩壊する国の方が多い。日本人の質のよさが失われる。安倍さんは軍事安全保障ばかり大事にするなら、もっと大切なものも守るべきだ。

——篠原さんは国民民主党に行かれた。

篠原 行ったんじゃない。民主、民進、国民民主と党名が変わっただけ。微動だにしていない。(2017年10月の総選挙前に)行かず、ずっと居残っているのは、衆議院では積極的に希望を拒否した私と前原(誠二)代表が大阪で維新に押し切られ仕方なく無所属で立った平野博文の2人だけ。あとは希望の党に行って「失敗した」と戻った者。岡田(克也元副首相)らは5月の国民民主党結成時に去って行った。

——踏み絵を踏まずに敢然と立ち向かった。

篠原 政策協定書も問題だったが、前原代表は全員の前で小池代表に公認申請することはないと断言した。約束違反なので、私は踏み絵にサインしないし、離党届も出さなかった。そしたら、公認申請してないのに、平気で公認して来た。原口一博が手続きが終了していたのにほごにして無所属立候補したが、追従者が出るのを恐れたのだろう。(続く)
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       高橋清隆

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著者プロフィール


反ジャーナリスト。金沢大学大学院経済学研究科修士課程修了。ローカル新聞記者、公益法人職員などを経て、2005年から現職。『週刊金曜日』『ZAITEN』『月刊THEMIS(テーミス)』などに記事を掲載。  著書に『偽装報道を見抜け!』(ナビ出版)『亀井静香が吠える』(K&Kプレス)『亀井静香—最後の戦いだ。』(同)『新聞に載らなかったトンデモ投稿』(パブラボ)『山本太郎がほえる〜野良犬の闘いが始まった』(Amazonオンデマンド)。翻訳にデーヴィッド・アイク『答え』第1巻[コロナ詐欺編](ヒカルランド)。           

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